おおとり会沿革
その意味

一、鳳
聖人が世に出づれば之に応じて見はれると云ふ瑞鳥、梧桐に非ざれば棲まず、竹実に非ざれば食はず、醴泉に非ざれば飲まず、羽毛五色にして、声五音に中り、世に道あれば見はれ、飛べば群鳥之に従ふと云ふ。雄を鳳、雌を凰と云ふ。(字源)

二、鵬
想像上の大鳥の名、荘子逍遥遊
「鯤之大不知二其幾千里一也、化而為鳥、其名為鵬」

三、オールマイティ、スペードのエースの別称。(旧第二講座語)

その生い立ち

1948年、神戸大学が新制大学として発足し、工学部工業化学科第二講座は井上嘉亀先生を迎え、社会に通ずる大きなパイプが敷かれることとなった。しかしながら、当時は世情も安定せず、新設パイプより押し出される我々卒業生を迎え入れてくれる社会の雰囲気は、決して安易なものではなかった。この苦しみは、我々卒業生よりもより強く先生方の頭の中に忍び込み、苦難の時期となった。

 ここに我々卒業生は、我々自身の自己防衛のため、また将来新生される後輩等のため、相互に啓蒙啓発することが、母校にとっても、また、第二講座にとっても発展の礎となり、それがひいては、我々の恩師に対する、御恩返しの一助となる。おおとり会は神戸大学工学部工業化学科第2講座出身者によって構成された。(1983年おおとり会名簿資料より)
 
その後、1992年、神戸大学工学部は改組、大講座制が敷かれ、工業化学科科第二講座は「応用化学科応用無機化学研究グループ」となった。さらに幾度かの大学院改組に伴い、1992年、工学研究科工業化学専攻修士課程は自然科学研究科応用化学専攻博士前期課程に、また、1997年の神戸大学大学院自然科学研究科分子集合科学専攻の発足とともに、数多くの博士課程学生をも輩出するに至った。おおとり会は、これら改組を経て組織された学部・大学院の卒業生・修了者を加えて構成されている。

おおとり会名簿より